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by lavvoronte

カテゴリ:日本の美意識( 6 )

コムスメノきがい

令和元年
七月十五日、軽井沢大賀ホールにて
「俵菜緒」氏による、地唄舞公演を
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取り行った。

   *

事の始まりは、
宮崎駿監督のNHKの特集を見た事にさかのぼる
三年前の晩秋のことだった

その一月前、
久しぶりに俵氏のリサイタルが出身地足利で行われた
その時舞われた「菊の露」。
冷え込んだ秋の朝、庭の小菊に置かれた朝露をみて胸を震わせ涙する
そんな繊細な日本人の情緒に、目が覚める思いがした。
まだその余韻に浸っている最中
宮崎監督の価値観をつぶさに観察して
更に感受性を高めようと
特集に神経を全解放して見入っていた
と、そこで目にし、耳にした、現代日本人の姿
短絡的でおぞましいと感じた若者の価値観、
何故に私はこんなに気分を害されなければいけないのか
悲しくもあり憤りもありそして危機感を覚えた
あまりに日本人は心を失い過ぎている

繋げられる心が存在するうちに繋がなければ

そんな危機感は
こむすめの身の程知らずな行動
と相成った。

以下、その結末である。


*  *  *  *  *


【雪】
気配も吸い取る
雪降る夜、
かすかな物音に
出家までしても忘れられない
人を想う

   *

白く塗られた肌に、口と目もとにさされた紅
豊かな黒髪を結いあげ
裾をたっぷりと引きずり
転がす和傘に想いが乗る

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滴るほどに盛り込まれた美しい日本
この「雪」が観たい

   *

心とはなにか、
私は美意識もその一つだと考える。
心とは「感じる」力、だと思うからだ。
美しいと感じる力、きれいだと感嘆する力、儚いと愛おしむ力
切ないと共感する力、足るを知って貪りを抑止する力
無力さを改め敬意を払う力

   *

今この地唄舞を観るということ
これが、心をつくる。
決まった動き
などで表すのではなく、
その作品への舞手の想いが
削ぎ落された動きの中に宿り
百人が百様に解釈をする
舞手と見者のキャッチボール

自ずが何を感じるのか。
この問いをもって我の心に気づく
それが心をつくる

   *

そこで
大賀ホールで公演をしてもらえないかと俵氏に打ち明けた時
まず「雪」を舞って欲しいとお願いした。

軽井沢大賀ホールはクラシック専用のホールであり
その舞台は檜ではあるものの演奏者たちが革靴で闊歩するため
表面のささくれと微粒子の埃は一番の懸念材料だった。
何しろ「雪」は着物を引きずるのだ

それを解決するべく当日朝九時、
骨の髄まで知り尽くした友人3人と俵氏側のスタッフ
掃除機片手、雑巾一杯を手に鼻息も荒く
大賀ホール裏口に勢ぞろい
開門と同時に掃除に取り掛かる
皆の想いと働きのお陰で
舞台の拭き上げが終了した

そして、舞台稽古に入る
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「聴かせる」ことのためのホール故
見せるために沢山の工夫と苦労が施された
銀箔の屏風があるだけでずいぶんと雰囲気が変わった
舞台監修の写真家森田氏に指示を仰ぎ
専用外のホールでどのように見せるのか
最後の最後まで確認した

その間、私は楽屋にお邪魔していた
楽屋では俵氏の装う小物の準備がされていた

まず、鬘(カツラ)
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舞によって鬘を変える
手前は艶ものの「雪」のもの
奥は、男舞の「八島」用

私は、前髪が少し乱れているように見える手前の鬘が
八島の踊りの激しさを現わしているのかと思ったが
床山さんに「地唄舞は乱れません」
と教えて頂いた。
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簪(かんざし)などは現場に来て、着物等に合わせて付けるのだそうです
こちらは関東用の鬘らしく、現代よりに少し明るめの毛色だそです
関西用は真っ黒を用いるそうです


次は顔師さんのお仕事です
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赤だけで何種類もありました
本人に合わせて作るのだそうです

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顔師さん、この一月前に退院されたばかりです。
体調を押して、息子さんに付き添って頂きご協力くださいました。

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傍で見る日本の技、かっこいいです。


お着物です。
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俵氏が何度も京都まで足を運び衣裳さんと相談し決めていらっしゃいました。

二曲目の【八島】の着物の裾は手刺繍によるものです。
「重たい着物なんですよ」
といって触らせて下さった。
片袖を持ち上げただけだったけれど、
これを肩にかけたらずっしりとさぞ重いだろう
それで手を持ち上げたままの姿勢を続けたりするのだ。
過酷だ

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なんという風格か

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波に千鳥

【八島】
源平の古戦場、四国八島の浦が舞台です
亡霊義経の語った、修羅道の凄まじい合戦の様子
合戦中流してしまった弓を自分の名を汚さぬよう命を惜しまず敵の前に身をさらして取り戻した
そんな様子を舞います。
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*  *  *  *  *


全ての照明を消し、
真っ暗な中
衣擦れの音と気配だけが近づいてくる
客席が水を打ったようにしんと静まり返る
ッカ―ーン
拍子木の澄んだ高い音が響き
ほんのりと灯りが点き
舞が始まる

気持ちの良い緊張感

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はたして公演が終わりました。

ここへ来るまでいろいろありました
俵氏本人の入院、
先述の顔師さんの入院、
地方(ぢかた)の先生は、膝を悪くされ、立ち座りに乱れが起こり見苦しいゆえ、俵氏にご迷惑をかけるからと、高いプロ意識から2度ものお断りをされました。それを大道具さんの工夫や俵氏の説得によって難を越えての実施でした。なににつけても奇跡の公演なのでした。

後日公演の録画がDVD化される予定です





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お客様が暗い客席で描いてくださいました
舞の感激冷めやらぬ様子で後日届けて下さいました



三年かけて俵氏とたった二人、
小さな力でつなげて来た。
とっても良い集大成と相成った。
これが、
もう立派な大人の
こむすめの気概の
成果でした。





地唄舞 jiutamai
地唄「雪」俵菜緒
解説 葛西聖司
地唄「八島」俵菜緒
唄・三絃 富田清邦/菊森美穂
大道具 山本大道具
小道具・狂言方 松永和則
衣裳 京都小林衣装
着付け 奈良秀明
床山 大澤金久
顔師 新井清
写真 森田拾史郎




公演前に宣伝用にと製作して頂いた動画です。
日常を切り離す清潔感ある拍子木の音、
俵氏の美しい指の動き、
富田先生の唄い、
日本の技、
ほんの少しご覧頂く事が出来ます。
心を生み出す日本の美
ご覧下さい。











by lavvoronte | 2019-07-30 13:17 | 日本の美意識
地唄舞公演のご案内
令和元年7月15日(月・祝)
軽井沢大賀ホール
15時開演
(14時30分開場)

近年、ふれることの少ない古典芸能。その中でもとりわけ希少な地唄舞の世界に誘います。
うすれゆく日本の心と美しさをもつ舞を、一心にその道をゆく俵菜緒氏を迎えここ軽井沢で上演します。
今回は「雪」と「八島」、静と動、艶と修羅。趣の違う二つの世界をご堪能下さい。
また、幕間には古典芸能解説者として活躍する、葛西聖司氏による楽しいお話と、
演奏には、連綿と受け継がれてきた富田清邦氏による地唄の弾き語りも同時にお楽しみ頂けます。
軽井沢にて春のこの機会に、ぜひご覧ください。
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移ろいゆく自然に心を留め、恋に身を窶し(やつし)、秋の葉につく朝露に魂を震わせ涙を流す。
 これは私が感動した地唄舞のある演目の風景です。
 地唄舞は、その唄に日本人の自然観が写され、儚さに対する深い愛情など、簡単に真似のできない日本人の高い感性を、削ぎ落した動きの中で芸術性高く美しく表現した静かな舞です。
 かつて繊細な心のひだを持つ日本人の心情を癒やしてくれたのは、山紫水明豊かな日本の美しい風土でした。その風土に心情を乗せて情緒豊かに表現してきたことで日本の芸術性が高められて来たのではと、地唄舞を見ると感じます。
現在、溢れる情報に心掻き乱され一日中交感神経が昂り、判断が人任せ情報任せになり自分を見失いかけている私達ではありますが、日本人として受け継いできた感性は、古来より受け継いできた自身を内観するこの地唄舞に触れた時、そこに心を癒やされる何かを感じます。
 昨今、地唄舞が公演される機会は非常に少なくなってきています。
軽井沢はむかしよりあまたの文化人に愛され、また大賀ホールという立派な舞台を寄付して頂けたほど、この地において文化を高めることが期待され、またその土壌があると見込まれています。そんな軽井沢から自国の芸術性の高さを見直す機会を発信していくことは、国際的な社会になる将来にむけて日本の背骨になりうると考えます。
時代が移り、検校(けんぎょう)、勾当(こうとう)と言われてきた盲目の演奏家としてその技を継承している地唄三味線の先生も最後の代と言って過言ではありません。この芸術を現存しているうちに、私達の心に映しておくことはとても貴重なことと思います。

舞手の俵菜緒氏の舞姿は本当に心に響く美しさです。
 この機会にぜひご覧いただけましたら幸いです。
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by lavvoronte | 2019-06-05 12:50 | 日本の美意識

「地唄舞を体験する」

私がどれだけ”和事”を知らないで歳を経て来たか、
それは私の想像をはるかに超えるものだった。
真っ直ぐ立つという事、
真っ直ぐ歩くという事、
極当り前のこの動きにさえ、改めて正確さを確認すると自己感覚とのずれに
目を見張るばかりの驚きと新鮮さを覚えたのが始まりだった。

「地唄舞」。知識の無い私は日本舞踊の一つだろうと考えていた。
もちろんそれも間違いではない。バレエやダンスなどの西洋舞踊ではないのだから。
けれど内側の人間からすると歌舞伎とも日舞ともそこには大きな違いがある。

 御殿舞だった地唄舞は宮中、殿上人など極限られた人のみが観ていたものです。
 それが江戸頃、京阪のお座敷の中で地唄を伴奏に
 人の苦しみや哀しみ、煩悩などを内に秘め静かに舞われ
 また、それをみる人もやはりお座敷を上げる事の出来る極限られた人たちでした。
 舞台芸術として一般の人がみられるようになったのは近年のこととなります。
 いずれにせよ、文化、知識人など通な人に好まれ発展してきたので、
 そのような文化人たちがいなくなりつつある昨今その行く末は言わずもがなです。
 能も武家に好まれ発展したのでやはり大衆化はしませんでした。
 一方、歌舞伎、文楽は町民にみてもらう中で発展してきました。
 それなので成り立ちの部分が大きく異なります。
 神楽などの民族芸能などは、村人たちの中で神に捧げるように残ってきたのだと思います。
 村人たちの神楽は里神楽と呼びます。
 ちなみに歌舞伎舞踊は「踊り」「踊る」
 能や地唄舞は「舞」「舞う」になります。
 舞楽も神楽も「舞う」といいます。

「古くは源流を御殿舞に辿る
 能の静的な舞をその要素に持ち、実に内面的な舞い方をする」

能や地唄舞は動きを最小限に削ぎ落し、果てにはほとんど動かない
動かない間が小さな動きを衝撃波のように響かせる
能においては面に穿たれた小さな覘き穴から見える
極僅かしか与えられない外界と対話しながら
息を殺し動を殺し神経を研ぎ澄まし舞う
あまりのことに、人生最後の舞となってしまう事も事実存在するし
その覚悟で舞っていらっしゃると聞いた
一つの舞に懸ける思いがこれほどまでとは。
地唄舞に触れるまでこの事実を私は知らずにいた。

絵画にしろ映画にしろ踊りにしろ音楽にしろあまたの芸術(表現)は
観る我々の抱えていた思い、消化できない感情など
自分と同じような感情をそこに見つけるから、
心奮わされ慰められ整理(消化吸収)され、涙する
知らずにそこに救いがあるのだろう
だからまた求めたくなるのだ
地唄舞という芸は古来神にささげる舞だった
それが超絶した感性を抱える玄人達に乞われその前でも舞われるようになってゆく
超絶した感情を鎮魂させる舞
演目を演じ舞うのではなく、人生を舞う
真実(事実)を見せられるから意識下の魂が振るわされ不思議な涙が浮かんでくる。
腹の底から唸る他ない。

地唄舞を知るにつれ、風前の灯火にさらされているこの古典芸能の一つを
今ならまだ体験する事が出来るという焦燥感が募り出す。
地唄舞の舞台を見るごとにこのままでいいのかという問題意識が増殖する。
グローバル社会、効率、便利、楽
生活をよりよく発展させようと誰もが必死になって働き、細部まで注意を払う事が出来た日本人の問題意識の高さのお陰でそれを向上させて来ることができた。
わき目も振らず一心に努めた上げた末、ふと立ち止まり後ろを振り返った時、そこには
忘れてきてしまったもの、捨て置いてきた物、この中に私達日本人の情緒を安定させ
尊厳を確認する大事なものも含まれていたのではないだろうか。

二回目は復習と扇の扱い方。
畳に座し、扇子を床に置き、その手を膝へ戻す動作の中で乱れた着物の裾を正す。
指を揃え両手を膝の前に付き、頭と背中を直線状に置いたままお辞儀をする。
一連の動きを、二重にも三重にも手足をバタバタと動かさず最小限の動きとスペースの中で納める。
効率と美しさを兼ねた日本の美意識。

最後の回となる三回目は、ついに唄付きで舞うところまで辿りついた。
もちろんほんの頭だけ。それでも右手と左手だけですら制御できない。

ただ、いずれを通しても本当に貴重な体験だったし、如何に現代が日本文化からかけ離れた所にあるかを痛感させられた時間となった。せっかく掘り起こした遺伝子振動なので、機会をまた作りたいと思っている。


by lavvoronte | 2017-09-22 14:52 | 日本の美意識

美しい所作

しとしとと静かな雨が、ねばり付くようだった暑さに一服の清涼をもたらしています。

さる7月19日、「地唄舞」のワークショップを行いました。
「地唄舞」のワークショップと名は打ちましたが
その中身は一世代二世代前の日本人であれば呼吸するようにあたり間に出来ていたこと
そんな捨て置いてきた習慣を地唄舞という古典芸能を切り口に
改めて新しい事を学ぶように丁寧に解説して頂きながら教わりました。

私が一番驚いたのは自分の姿勢です。
何度もしてきた正座の姿勢、先生の注意はまずそこからでした。
ご指導頂いた姿勢は、お尻には体重を乗せないという感覚が生まれるほどに上半身の前傾が必要でした。
しかしそれが傍からみると真っ直ぐなのです。
そこから考えると今までの正座は体重のほとんどを足首に押し付けており、
それはかかる負担が大きくなるはずです。歩く姿勢も然り。
この姿勢を取ると自然に両手が前に垂れこれも自然に前で手を組む形に至るのです。
「そうか、これか。」
数少ない和装経験時、取ってつけたように着物に着られている風で
違和感満載であることが私は着物が似合わないとしてきた理由でした。
着なれている方の佇まいや品、これは骨格の為で致し方無いのだろうと諦めていたものでした。
ところが「姿勢」が正しい位置に修正できれば私にもあの佇まいを手に入れる事が出来るかもしれません。
目からうろこです。

そして呼吸。
私はいまヨガを習っておりますが、一番肝心だと感じるのは呼吸です。
なぜなら呼吸は心をコントロールする事が出来るからです。
頭で落ち着けと言っても落ち着かない不安や憤りが深く静かに息を吐く事で落ち着けることが出来ます。
私はこれはヨガ特有の方法なのだと思っておりましたが、それは地唄舞の中にもありました。
現在は習わなければ忘れている呼吸法、昔の日本人には生活の中に在ったのです。

次は立ち座りの動作、歩く、この極当り前な動作の中に今流行りの体幹が鍛えられる要素があったこと。
正座の姿勢からスッと真っ直ぐ美しく立つ時に必要なのは腿の筋力と腹筋背筋のインナーマッスル
歩くときにも少し腰を落とし足を前に出す時、体幹がしっかりしていないと
意外と肩が傾いてしまうものでした。
他にも座ってお扇子を畳に置いた手を膝に戻す動作の内で乱れている裾をそっと正す
これが自然と身に着いたらどんなに美しい所作になる事でしょう。
この一連を行うだけで沢山の汗をかきました。

実際に体験をする前も、忘れられてしまった日本人の美意識を残念に勿体なく思っていたものでしたが
私自身がまさかこんなにも何も知らないとは目からうろこでした。
実に良い経験でした。

あと2回このワークショップを行います。
その中でこれからどんな体験をしていくのか楽しみです。

地唄舞 お稽古ワークショップ
日程 8/23(水)、9/20(水)
場所 新軽井沢会館(矢ヶ崎公園内)軽井沢駅より徒歩2分
時間 18時~20時
参加費 3,500円(子供2,000円)
※一日だけの参加も可能です。
※浴衣と足袋をご用意ください。浴衣の貸出しが必要な方はご相談下さい。
※舞扇子が必要になります。(3,000円程度)貸出しも可能です。





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by lavvoronte | 2017-07-23 13:05 | 日本の美意識

地唄舞を楽しむ会

 古くは源流を御殿舞に辿る
 能の静的な舞をその要素に持ち、実に内面的な舞い方をする

彼女と出会って10年に近い
平成に生きながら万葉の感性を生きている彼女からみれば
私は遠く離れた宇宙人のように思えただろう

始まりはふらっと通りがかりにお店に寄ってくれる
軽井沢に休息を求めに来た若い移住者の一人だった。
次第に私は興味深く話をするようになるが
それは玉ねぎの皮を一枚ずつ、慎重に剥がすような
知識や感性を敏敏に研ぎ澄まし、
探るように語られる事を理解しようとする作業だった
しかし、未だに私には計れない感性(今生)を
彼女は自身の深い湖の底に内包して生きている

彼女が軽井沢を立って二夏が過ぎた先日
連日に渡りおしゃべりを楽しむ一時を持つことが出来た

以前から「地唄舞」に懸けてきた人生や生い立ちを聞かせてはもらっていた
始めは日本の伝統芸能のいろはだった
能や狂言や文楽や清元や、単語としては聞いたことはあるが
知っている事はその表面だけ、そんなことの背景や「何を」舞っているのか
そして地唄舞も初めて私に与えられた存在だったので
その成り立ちや日本舞踊とは何がどのように違うのかなど

 御殿舞だった地唄舞は宮中、殿上人など極限られた人のみが観ていたものです。
 それが江戸頃、京阪のお座敷の中で地唄を伴奏に
 人の苦しみや哀しみ、煩悩などを内に秘め静かに舞われ
 また、それをみる人もやはりお座敷を上げる事の出来る極限られた人たちでしたので、
 舞台芸術として一般の人がみられるようになったのは近年のこととなります。
 いずれにせよ、文化、知識人など通な人に好まれ発展してきたので、
 そのような文化人たちがいなくなりつつある昨今その行く末は言わずもがなです。
 能も武家に好まれ発展したのでやはり大衆化はしませんでした。
 一方、歌舞伎、文楽は町民にみてもらう中で発展してきました。
 それなので成り立ちの部分が大きく異なります。
 神楽などの民族芸能などは、村人たちの中で神に捧げるように残ってきたのだと思います。
 村人たちの神楽は里神楽と呼びます。
 ちなみに歌舞伎舞踊は「踊り」「踊る」
 能や地唄舞は「舞」「舞う」になります。
 舞楽も神楽も「舞う」といいます。

「古くは源流を御殿舞に辿る
 能の静的な舞をその要素に持ち、実に内面的な舞い方をする」

能や地唄舞は削いで削いで削ぎ落し果てにはほとんど動かない
動かない間が小さな動きを衝撃波のように響かせる
能においては面に穿たれた小さな覘き穴から見える
極僅かしか与えられない外界と対話しながら
息を殺し動を殺し神経を研ぎ澄まし舞う
あまりのことに、人生最後の舞となる事も事実存在するし
その覚悟で舞っていらっしゃると聞いた
知らなかった。
一つの舞に懸ける思いがこれほどまでとは。

今回私が感じたこと、
絵画にしろ映画にしろ踊りにしろあまたの芸術(表現)は
観る我々の抱えていた思い、消化できない感情など
自分と同じような感情をそこに見つけるから、
心奮わされ慰められ整理(消化吸収)され、涙する
それを感動と呼び、知らず知らずにそこに救いがあるからまた求めたくなるのだろう

人に見せる為の踊りではなかった地唄舞という芸は神にささげる舞だった
日々民を思い己をささげる神
それがだんだんに玄人にも乞われるようになり
神の前だけで舞うのではなくなってゆく
超絶した感性を抱える玄人達の思い
それらを消化させられるほどのものとは如何なるものか
それを舞えるほどとは如何なるものか

演目を演じ舞うのではなく
演目のままのその人生をただ、舞う
真実(事実)を見せられるから腹の底から唸る他ない


「地唄舞を楽しむ会」
 地唄舞 菊の露     俵 菜緒
 仕舞  海士ー玉の段ー 中村 政裕
 地唄舞 球取海女    俵 菜緒

平成28年11月12日(土)
栗田美術館山荘(足利)
午後2時30分開場 | 午後3時開演
チケット ¥5,000(税込)
tel 0284-41-2776

「森田拾史郎 写真展  能ーNoh-」
古典芸能をはじめとする、舞台写真家の第一人者
森田拾史郎氏の写真展。独自の視点で切り撮った
能の写真を中心に地唄舞の写真も展示
~平成28年11月下旬
<期間中イベント>
古典からみる日本の美、日本の心
日頃入口の少ない日本の古典・文化に
楽しいお話を交えながらふれて頂く集いです。
10月20日(木)19:00~
参加費 3,500円(珈琲とお菓子つき)
定員12名

はせがわ珈琲店(観光駐車場裏・足利)
0284-41-2776















by lavvoronte | 2016-10-02 16:34 | 日本の美意識
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(上の写真は松江城のお堀の脇に建つ小泉八雲の住居です)







摘み草料理の京都美山荘は、とてつもなく辺鄙な場所までお客様に脚を運ばせる
裏を返せばそうまでしても行きたくなるという魅力がそこにしかないということになる
それはなにか。
風景であり、景色であり、設えであり、接客であり、料理であり
片田舎でテレビもない客室、携帯もつながらない、それなのではないだろうか
そして
「こんどは蛍の時期に行ってみたいわ」
とお客様が、想像力をかきたてる
そこにお膳立てされすぎておらず、受け取り手がそれぞれの色を見出す
テーマパーク的の非現実要素が隠れているのではないだろうか
と前の日のお客様とのおしゃべりで想像してみた

身の丈を越す敷居のそこはどんな感じだったかと思いネットを開いてみた
そこに私達日本人からも遠ざけられることの方が多くなった
艶のあるキャラメル色になった昔があった
太陽の光から引き離された室は小さな灯りに助けられ
ほのかに明るさを溜めていた
隅は明るさから逃れ、己の存在をごまかすことで
真実の広さを露呈されずに済まされていた
正体を現わさない室内から視線は自然と明るい外へと奪われているからである
身体を包み込む室内のほの暗さから 少し先の小さく開いた開口部の明るさを望む
この体験は洞穴や横穴式住居に住んでいた頃の遺伝子の記憶を呼び起すのだろうか
 


そのうちに、おなじく京都の俵屋を覘いてみたくなり、ネット内を散策した
擬似体験が完成するほど丁寧に細に渡る写真が沢山載っていた
俵屋には美山荘も持つ非現実要素と共に
程よくお膳立てされたストーリーが設えられていた
そのお膳立ての自然さは、滞在者を知らずに作家へと仕立ててゆく
滞在者はそれと知らずに自ら生み出した「ストーリー」の世界へと
舞台が転換させられていく

街の中を塀一枚で切り取りその中に確かな静寂を構築している
壁と共に静寂を構築しているのは
遠近感を自在に操る巧みな技で造園された庭木たち
それらを映画監督が観せるスクリーンに切り取られた景色の様に
誰しも同じ景色を体験できる絶妙な配置の窓から眺める
ここでもやはり視線は自然に外へと奪われる



いろいろとネット内をふらふらしていると2年前に行った
小泉八雲が住んでいた住宅を思い出した

如何にも、という日本建築に必要な要素から何も省かれていない
つまり裕福さが滲んでいる塀や門に対し
精神性を見せられるほどに削ぎ落された間取り
どうしてこんなに削ぎ落とせたのだろう
答えは素晴らしく優れた間取りの計画にあるのではないかと
平面図を描けるほどに観察した
そして強い余韻に酔わされたまま次の場所へと続きの観光を進めたのだが
意識がそこに釘づけにされてしまったため
意識を取り戻しに再び訪れたほどに魅せられてしまった

その時も見事なお庭だなあと感心した
ただ、後にもしかして建物なんて関係ないんじゃないか
と思わせるほどに主役をとってかわられるとは思っていなかった

そして簡素な建物に対し遠慮の無い豊かな造園
足りなさを覚える面積に豊かに世界観を与えていた

ネットの中をぐるぐると旅をしたようにいろんな景色に出会い
頭の中も沢山ぐるぐる走り回った
そして気が付いた
日本建築の主役は庭ではないのか。





それでは小泉八雲の住宅へご案内致しましょう

玄関の上がり間です
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上がり間から家の奥へと歩を進めます
角を曲がるごとに庭が表情を変え時の流れさえ感じさせます
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入口へ戻ります
畳を4枚横に並べその周りを縁側の様に板の間が巡らされています
そこから見る正面のお庭です
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角にはしゃちほこが
こう置かれるとかわいらしいオブジェに感じます
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建物に沿い90度折れ趣も変えた側面のお庭です
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ポイントとしている庭木の足元の苔や砂利による多彩な演出
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側面の庭から顔を出しその奥まで続くお庭を望みます
隅から隅まで気を抜かず丁寧に作りこまれています
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上の写真に見える蔵を90度回転させた蔵の入口
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上写真の蔵入口の前方の庭です
ここは八雲の書斎脇にあたる裏のお庭です
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書斎開口部正面から裏庭を望みます
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書斎の隣りの間からの裏庭の眺め
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どの窓をとっても違う景色です



<まとめ>
一番奥にあたる書斎から正面のお庭を望みます
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こちらは始めの4畳の間から裏のお庭を望みます
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横穴を思い出させるような室の奥の暗さから
穿たれた開口部から溢れる外の明るさへ
視線と共に精神も引き込まれる




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建物より個性豊かな建物の外
三つの建物から感じた共通項のお話でした。
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by lavvoronte | 2015-10-18 20:35 | 日本の美意識